恥ずかしい、情けないという思いが9割、悔しいという思いが1割、正直もう思い出したくもないUTMB2022 参戦記。半分もいかない80kmクールマイユールでリタイアという結果は、無かった過去としてそっと蓋をしておきたい(笑)。とはいえ、世界中の多くのトレイルランナーにとって憧れの大会、そこを走らせてもらえた幸運や夏期休暇明け早々に1週間もお休みを頂いて職場の方にもご迷惑をおかけしたことや理解ある家族を思えば、やはり報告せずに先の記事に進むことはできません。
今回、脊柱管狭窄症で日常生活でも出社の日はロキソニンを飲んでいたような状態で、大した練習もできず、レース中も前半だけで4回ロキソニンを飲んでお腹の具合が悪くなるなど、いろんな言い訳はあるのですが、今となって思い返せば、言い訳に甘えてレースに挑む気持ちが欠けてましたし、要は根性不足だったなと。翌日にゴールされる方々を見ていて、練習不足で故障者の私でも、気持ちを切らさなければ、可能性はあったなと、改めて情けない気持ちが込み上げてきたのでした。
というわけで、言い訳や愚痴が多くなりそうなので、なるべくシンプルに、情報として参考になりそうな部分を抽出いたします。
出発までの準備
旅準備など
UTMB参加準備として、医師の診断書の提出が必要です。病院によって、断られたり、結構いろいろ検査されるところがあったり、簡単な問診だけで済んだり、いろいろなようですが、だいたい1万円程度の手数料で作成してもらえるようです。近所のかかりつけの医院に電話で尋ねても、あまりないケースのようで、うまく伝わらず断られたりしました(笑)。近くに参加された方などあれば、紹介してもらうのが良いと思います。基本的には、医師のサインをしてもらうだけなんですが、意外と面倒で費用もかかります。
飛行機はEmirates航空、関空-ドバイ経由-ジュネーブ 往復 146,330円でした。ご承知のようにウクライナ紛争などもあり原油価格が高騰している折で、加えて円安が歴史的水準に進行中でした。コロナの状況なども含め、本当に8月に参加できるかどうか不明な状況で、私一人ならずっと様子見してたかもしれません(笑)。幸い、仲間から、6月から燃料サーチャージが大幅に上がりそうで、徐々に値上げの傾向があるので、もう予約したほうが良いとの連絡をいただき、心を決めてフライトの予約を行いました。(この時は、ぎっくり腰の後で家の中でも杖をついて歩いていた状況でしたが、8月には治るだろうと呑気に考えていました。)
後で聞くと、その後、20万円台になり、30万円以上で予約された方もあったとのことで、早めに予約しておいてよかったです。ただ、エミレーツ航空が良かったかと問われると、、、普通ですかね。食事、接客など、特に悪いとも思わないですが、逆に特に良いとも思いませんでした。ちなみに、乗り継ぎを含め、行き22時間、帰り20時間とかそんな感じだったと思います。
UTMBコースとタイムチャート
UTMBのコースは直前まで知らず、慌ててコースチャートをダウンロードしたり、完走のタイム計画をexceelで計算したりしました。Webで他の方の参戦記などを参考にしながら、なんとなく大物の山の位置感覚は入りましたが、傾斜やトレイルの特徴(土か岩かなど)は実際に走ってみないとわかりませんね。行く前はどちらかというと岩稜でガレガレの印象でしたが、前半だけでいうとかなり土もある印象です。
前半でいうと、最初のデレブレ、標高1,400mちょっとしかないですが900mくらい登るんですよね、まだ元気だし傾斜も緩く走れるくらいで気になりませんが。ので、実質の最初のボスはボンノム峠、その後はセーニュ峠、そして少し下って登り返すモンファーブル、ここから下るとクールマイユールです。
クールマイユール以降は、(走ってないですが事前の調べでは)クールマイユールのエイドを出て(ベルトーネはピークではないですが)ベルトーネまで800mアップ、微妙なアップダウンを繰り返しながらアルヌーバに更に400mアップ、その後一気に800mアップでフェレ峠2533mまで登り、このあたりで2日目の夜でしょうか。フェレ峠の後はシャンペ湖へ降りて、最後に苛めの2000m前後の山が3つ。いずれも800mアップぐらいでしょうか。
そのようなことをいろいろ考えながら、意外と序盤のエイド関門が厳しいような話も考慮し、タイムチャートを作成してみました。結果として、下りはともかく、特に長い登りで練習不足でペースが上がらなかったり、お腹の調子が悪くてエイドでトイレばっかり行ってエイド滞留時間が長すぎたり、このペース表のようにはいきませんでした。
必携装備品
私にとってレースはいつ以来かわからないくらい久しぶり、2~3年ぶりでしょうか。故障中なので、国内の通常のレースならDNSするところですが、UTMBだけは特別で参加を決定しましたが、ずいぶんとレースに出てないので装備品などの準備が意外と大変でした。
なんかいろいろ買っちゃいましたね(笑) ヘッデンなどはGentosの単三電池を入れるタイプのものを使っていてあまり不満もなかったのですが、Ledlenserが良いといわれて探したのですが、業界標準的なNEO10Rが販売終了で後継のNEO9Rは専用充電池でまぁまぁ重かったり(笑)
あと、ザックも長年、salomonのAdv Skin 12を愛用していて、網の部分が伸びて収納力が高いことが非常に気に入っていて、UTMBもこれでと思っていたのですが、、、網に無理に入れすぎて穴が開いてきていてそろそろ寿命・・・。というわけで、市場に品薄ではありましたが、現行品のAdv Skin 12を購入しました。このあたりは、使用感を含め、またギア紹介したいと思っています。
なお、hard weatherか、cold weatherかなどは、前々日頃にSMSで大会事務局から指示がありました。今回は、”only the mandatory kit will be required. The hot weather and winter weather will not be activated.”という形で指示がありました。多くの装備は大会の会場でも購入できますが、サイズなども考慮すると、やはり日本ですべて揃えて持参する必要はありそうです。
スタートまで
シャモニー到着
ジュネーブ空港からシャモニーまでは、車で高速道路を通って1時間30分程度でしょうか。バスがあるようですが、今回は仲間とレンタカーを借りていました。また、宿も仲間と共に会場から歩いて5分くらいのところのアパートで非常に良い環境でした。
アパートのベランダからは、すぐに山々が見えて本当にきれいなところでした。シャモニーは町のどこを切り取っても絵葉書になりそうなきれいな街で、UTMBウィークはお祭り状態です。
会場付近から、見上げるとすぐ近くに上の写真のように綺麗な山があります。
ずっと、Youtubeで見たUTMBのスタート/ゴールの景色。後ろの教会や手前のホテルの窓に飾られた花の様子など、ずっとインターネットで見ていたところに来たんだという実感がわいてきます。先に始まっているTDSの選手がゴールに帰ってくると、大きな歓声があちこちで聞こえます。遠くで、歓声が上がり、ブラボーという声が聞こえると、また選手が帰ってきたんだなとわかります。
この時は、自分もこんな歓声に迎えられてゴールに帰ってきたいなと思っていたのですが・・・
前日観光(エギーユ・デュ・ミディ)
到着翌日は大会参加の前日受付を行いますが、午後まで時間があるので、午前中はエギーユ・デュ・ミディに観光に行きました。まぁ、高地順応ということで(笑)。そんなんしとるから完走でけへんねんという気がしなくもないですが、観光しようがしまいが結果にはあまり関係ない気がします。というより、めったに行けるところではないので、お天気がよければ是非行っておくべきだと思います。少し高いですが、それだけの価値はあると思います。
ただ、朝はかなり混雑していて、予約した人が優先となります。我々が行くと、予約がないとずいぶん遅くなるといわれましたが、運よく空きに入れてもらえましたが、最初は1時間後くらいになりそうでした。
最高のお天気でロープウェイの終点の展望台だけでも十分にきれいで、遠くの山々まで見渡せます。ここから更に、エギーユ・デュ・ミディへはエレベータでロケットのようなとがった展望台に上ります。
エギーユとは、針のように鋭く尖った岩峰のことだそうです。確かに、尖った岩稜ではありますが、あのロケットのような建物が独特です。
エギーユ・デュ・ミディまで登ると、先ほどまで喜んでいた展望台が小さく下に見えて、より一層、壮大な景色が広がります。
ロープウェイでは観光客に混じり、ピッケルやロープの装備を持った登山パーティがおられます。雪渓を見ていると、米粒のように登山で登る人がたくさんおられることに気づきます。かなり、クレバスのように割れ目のある雪渓を巻きながら進んでいるのを見ながら、私には無理だなと思いました。また、垂直な岩場にも、よく見るとたくさんロッククライミングをされている方もおられ、なんか本場感を感じました。
せっかくなので、イタリア(クールマイユール)側に行くゴンドラにも乗ります。クールマイユールから登ってきて同様なコースを回れるようになっています。こちらは4人乗りのゴンドラが3連でやってきます。
イタリア側の展望台から、クールマイユールの町が眼下に見えます。私は高低表とexcelのタイムチャートしか見てないので、山を見てもコースとか全くわからないのですが、一緒のメンバーは、あの右下がUTMBのコースちゃう?とか、そうそう、あの右側からずーっとあの尾根走ってきてクールマイユールに降りていくんすよ、とか話してる。
今、上の写真を見てもよくわからないけど、写真の右側がモンファーブルからコルシェルクイに降りてきて、真ん中の緑の山からクールマイユールに降りるのがあの激坂だったんかなと思い出されます。
シャモニーのロープウェイ乗り継ぎ場で、最後の短いパートはトレイルを走って降りることもできるようです。5kmとからしいので、せっかくならという気持ちはありましたが、動き回って既にロキソニン飲んでいる人がやることではないなと思いました。
代わりに、、、というわけではないですが、小さな売店で山の景色を楽しみながら、軽食をいただいて帰ってきました。
受付け
さて、宿に帰って、前日受付です。必携装備品を一通り準備し、装備チェックですっと出せるように、どこに何を入れたか記憶しながら荷物準備を行います。この時は、レースで雷雨の可能性もあるとのことで、防雨・防寒をかなり気にしていて、フル装備で準備をして受付に向かいました。
クライミングジムのような体育館ですが、奥でテーブルの前に立たされて装備チェックを受けている人たちが見えます。以前に、韓国の済州のレースでは、ほぼ全ての必携装備品をチェックされて、出した後に片付けるのが大変だった記憶があり、あまりたくさん出せと言われると面倒だなと思いながら様子を伺います。
身構えて待っていると、奥のテーブルに向かうように指示があり、あーこちらにもチェックテーブルあるのかと思えば、名前など聞かれた上でザックを出すように言われ、差し出すとタグをつけてくださり、腕にもタグを。以上、終わり!とのこと
結果的に、装備チェックをスキップしました。チェックの列が少し長くなってたから適当に混雑緩和でスキップしてるのか、言葉の問題で時間がかかりそうと思われたのか、何かの勘違いか、ランダムチェック的にサンプリングしているのか。まぁ、必携装備なしでは不安で走れないので、チェックしてもらって全然いいのですが(笑)、列に並ばず早く終わったのはよかったです。
夕食後に宿に戻る途中にゴール地点を見学。この時は特にレースがなかったので観客はおられませんでしたが、この時はまだ、必ずここに戻ってくるんだとか思ってみていました。
荷物預かり
レース当日、CCC参加のメンバーは早朝にクールマイユールからのスタート地点に移動するバスで出発。UTMBはスタートが夕方の18:00のため、失礼して寝させていただきました。朝食をとって、さとうのごはんでおにぎりなどを準備したりしてまた仮眠。荷物預けが17:00頃までだったので、16:00頃に荷物を持って出発し、そのままスタート地点に移動することに。
天気は、雷雨との予報も出ていましたが、夕方に少し降った後、夜から翌日はくもりであまる悪くはなさそう。できればゴールまで雨なしでいければうれしいと思っていたので、いきなりの雨に少しテンションダウン。結果的には、スタート時にパラパラ降っただけで、最後まで比較的良いお天気でした。少し暑いくらいだったのかもしれません。
会場のスタッフに、紐の結び方を修正・教えてもらいながら、荷物預けもすんなり完了、スタート地点に移動します。現地の方は基本フランス語ですが、日本人とみると英語で話しかけてくださり、「義妹が日本人住んでるのよ~」とか話しながら親切に対応いただきました。
なお、荷物預けは、受付会場とは異なる体育館でした。(クールマイユールからのバスがこの会場の前あたりに止まります。ので、翌日、リタイア後にはこの会場付近に帰ってきました。)
レースの様子(スタート~クールマイユール)
いよいよUTMBスタート
荷物預けを終えるとスタート地点まで、徒歩で移動します。10分程度でしょうか。ずっと、日本でyoutubeで見ていたあの教会の前のスタートゲートへ。
まだスタートまで1時間近くあります。今回は速くは走れないので、あまり位置からスタートする意味はありません。とはいうものの、あの憧れのスタートゲートの景色、少しでも前で見たい気持ちもあります。
会場に行ってみると、マラソンのスタートブロックのようにランナーがぎっしりというより、並んでいるのか並んでいないのか、なんとなく人が集まっています。見送りの家族や友人なんかもたくさん入っておられて、なんとなく集まっている感じです。ので、我々もなんとな~く、空いている隙間に入り込みます(笑)
30分前頃でしょうか、時間が近づくと、選手以外は外に出るようにアナウンスがあり、一気に前に詰まります。ゲートがわりとすぐ前に。ちょっと、前すぎたんちゃう?(笑)
スタートゲートの向こうには、雨もあがって山々が見えてきて、もうすぐ出発というときにお決まりの「Conquest of Paradise」が流れます。youtubeで見てたんと一緒、スタート地点に立てた喜びと興奮がこみ上げます。
1分半くらいでスタートゲートでしょうか、やっぱりちょっと前すぎたかな。大歓声に見送られてシャモニーの町を出ていきます。しばらく町を走る間はずーっと観衆が大歓声で見送ってくれます。練習不足の私は、くれぐれも自重しながら進みます。
レズーシュまで
最初のウォータエイドのあるレズーシュまでは、ほぼロードと林道で、ほぼほぼ走り続けます。キロ6分~6分半くらいでしょうか。アップをかねてゆっくり進みます。とはいえ、まぁまぁの発汗です。
シャモニーからレズーシュは山というより、田舎道を隣町までという感じで、沿道から多くの方が応援をしてくれています。「アッレ、アッレ!」とか、中には、日の丸のマークを見て「ジャポネー」とか、ゼッケンの名前で呼んでくれたりします。「メルシー!」とか、適当なフランス語で応えます。
林道を抜けて、ロードに出れば、レズーシュの街です。このタイミング、あまり補給もいらないので、牧場・スキー場のようなところから山登りが始まります。
デレブレへの登り~コンタミン
最初のお試し山、デレブレへの登りが始まります。上の写真のところがトレイルヘッドでしょうか。実は、ここだけ一瞬細くなっていて、渋滞しました。ただ、待ち時間数分というところでしょうか、ここを過ぎると少しガレた林道でかなり幅もあるので、渋滞はなくなります。
これから40時間以上走る(つもりでした、この時は)のに、急いでも仕方ありません。まぁ、概ねみなさん、あまり焦っても仕方ないという感じなのですが、路肩からの強引な追い越しやポールで微妙なカチャカチャなつばぜり合いは、多少、ありましたかね(笑)。
デレブレへの登り途中、ちょうど中間くらいでしょうか、振り返ると雨が余った山々がとても綺麗です。少しテンションが上がります。デレブレの登りはトレイルというよりは、スキー場の林道登りで、かなり幅も広く、勾配も緩やかです。私は登りは歩きましたが、力のあるランナーなら走って通せる感じです。
デレブレを登りきると、下りの土のトレイルとなります。幅は少し狭くなり、2人が横になって走れる程度の幅が中心です。ガレてもなく、土・草のトレイルですね。ちょうど走っていて気持ちいいトレイルですが、行き過ぎると足にきますね。これを降りるとサンジェルベのエイドですが、街はずれかなと思ってから意外と遠く、日が暮れてヘッデンが必要になりました。もうすぐかな~と、ヘッデン出さずに粘っていたランナーも多かったようです。気持ち非常によくわかりましたが、あれは危険ですね、人のヘッデンで走っているような状態でしたから。いつでも出せるように準備しておいて、暗くなればすぐ装着したほうが良いと思いました。
サンジェルベのエイドは夜にもかかわらず、街の応援がすごかったことだけよく覚えています。エイドのテント内はすごく混んでいて、パン・チーズ、サラミ、オレンジのような食べ物と、水(ガス有り無しあります)、コンソメスープなどがあり、まぁまぁな奪い合い状態でした(笑) よく覚えてないのですが、下の写真はサンジェルベの次のエイド、コンタミンの様子です。
こうやって見ると、ものすごく混んでるわけでもないのですが、食べ物のところには次から次にランナーが来るので、順番とか譲り合いのような概念はないですね(笑) とにかく手を伸ばして奪うという感じでした。オレンジなんかは、誰が触ったかわからないような感じですし、ましてや、コロナ対策的なものは皆無です。
私は、バケットとチーズ、サラミあたりをつまんで水で流し込むような感じで食べていました。おいしいとも思いませんでしたが、食べれないわけでもなかったです。ただ、エネルギーの絶対量としてはかなり不足していたので、長い登りでは少しガス欠(シャリバテ)的な状態が続いていたように思います。
あと、入口、出口、水、糖など、基本的なフランス語は調べていったら安心かもしれません。走っているうちに、出口はsortieなんだとか少しずつ単語がわかってきますが、とりあえず全部見て回らないとどこに何があるのかわかりません。「ウォータ、ノン ガス?」とか、「エナジー ドリンク」とか適当なことを言っても通じますが。そうえいば、コーラばっか飲んでた気がします。見た目わかりやすいので(笑)
もうかなり夜遅い時間だったように思いますが、街では多くの人が応援してくれてます。街はずれではキャンプをしながら応援してくれてる人たちもいました。
ボンノム峠へ
さて、コンタミンを出ると、最初のボス、ボンノム峠に向けた登りに向かいます。とはいえ、本格的な登りのトレイルは、次のエイド、ラバルムを過ぎてからで、そこまでは少し登ってはフラットなトレイルを走ったりして緩やかに登ります。
ラバルムは山の中腹で、このあたりから一気に寒くなります。トレントフライヤーとグローブを着用しました。このエイドでは、暖かい紅茶に砂糖を入れて飲んだらよいと聞いていましたが、おじさんがくれた紅茶はヌルくて、砂糖も溶け残ってカップの底にたまり、水で洗ったりが面倒でした。ティーバッグもあったので自力でお湯を入れて紅茶を作ろうとしたら、そのお湯もぬるくって・・・(笑) なんか時間の無駄だったように思います。
ボンノム峠への登りが本格的に始まります。ほぼシングルトラックですので、追い越すときは少し強引に脇から行くなどしないといけません。ところどころ、広い瞬間があったり、路肩に登れたりできるので、タイミングを見て追い越しはかけれますが、かなり長く連なったパック状態で登っているので割り込んでいく感じにはなります。まぁ歩いてるので、危険でもないですし、ほかのランナーも決して譲ってはくれないですが、割り込まれてもさほど気にしてる感じでもないと思います。
上の写真のように、遠くまで延々とランナーのヘッデンが続きます。上の写真はまだ斜度が緩いですが、途中からはヘッデンの列が空に昇って登っていく感じです。(写真撮っている余裕がありませんでしたw)ので、あの上の方まで登らねばならない、、、というのはすぐに光の列でわかります。
レシャピューエイドからセーニュ峠
最初のボスのボンノム峠を過ぎると、一気に900mの下りで、レシャピューのエイドになります。つづらおりのトレイルで、飛ばしすぎると足に来ますが、決して走りにくいトレイルではありません。
このあたりから、お腹ユルユル(ガスガス?)になり始めました。大きい大会なので、エイドのトイレは結構あるのかと思っていましたが、基本的には山小屋などのトイレ利用で男女兼用個室が3つ、とかでした。並んでいると、待ちきれない人が次々に真っ暗な林に消えていく・・・状態で、やっと空いたトイレが紙がなかったり、入るのをためらうような大変な状況になってたり。携帯トイレまで持つかは主義によりますが。
レシャピューからは、第2のボス、セーニュ峠へ、約960mの登り。中盤までは牧場っぽいところをダラダラと登っていきます。暗闇のなかで、牛か羊かの「カラン、コローン」という音だけが聞こえたりします。後半は一気に勾配が急になりますが、それに耐えて登り続けます。
ちょうどセーニュ峠で夜明けを迎え、美しい景色を見ることができました。あとで聞くと、ここは本当は暗いうちに通過して、ラックコンバルのエイドへ下っていくあたりで日が明けてくるのが普通なようです。まぁ、今回は関門ギリギリで行けばいいと思っていたので、実力的に仕方ないと思います。
セーニュ峠まで約1,000mの登りを終えましたが、ほぼ歩きだったこともあり、まださほど厳しい感じはしてませんでした。ただ、徐々にお腹の具合が悪いこと、既に2回ロキソニンを飲んでいますが、そろそろ3回目を入れないとまた切れてきたな・・・という違和感は感じていました。
セーニュ峠から、150mくらいダウンの後、カルカリアスまで260mのアップ。ここまで、1,000m登ったことに比べれば大したことない、、、はず。が、意外にこたえる。カルカリアスとは後でわかったのですが、石灰岩の意味で、途中はガレガレ、岩々のところを一瞬通過します。そこを過ぎると、下りはラックコンバルまで、綺麗なシングルトラックのトレイルを気持ちよく進めます。(ただ、私はお腹がガスガス状態で、トイレに行きたくて下りでお腹が揺れるのが苦痛でしかたありませんでしたが)
きれいなシングルトラックで、なかなか譲らない人と微妙につば競り合いを行いながら、下ってきます。私は早くトイレに行きたいなぁと、そればかりを考えながら下ります(笑)
やっと到着したラックコンバルのエイドでは、エイドに入る前に仮設トイレに駆け込みました(笑) エイドでは、おにぎりを食べながら係りのおじさんに「ジャパニーズライスボール!」とか言いながら、ロキソニンを投入しました。おにぎりは少し食べましたが、総じてエネルギー不足な状態が続いています。練習不足ながら足はまだまだいけるのに、登りでの呼吸が苦しくペースが上がりません。
登りでは一緒に進んでいたメンバーについていけなくなり、先に行ってもらいました。下りで追いつけるという感覚はありましたし、決して速くはないとはいえ、練習不足の身で登りで頑張ると後がつらいと思いました。ただ、ずっとお腹の調子が悪く、下りは足や体は行けてもお腹が揺すられるので、あまり飛ばせない(小走り程度)な状況でした。
とはいえ、モンファーブルからコルシェルクイまでのトレイルは絶景。前日観光でクールマイユールに続く尾根筋を見ていた辺りを走っているのだろうなと思いますが、本当にきれいなシングルトラックです。(時々、マウンテンバイクがひかれそうなスピードで突っ込んできますがw)脛あたりに常に神経痛の痛みがあるのと、お腹の調子が悪くなければ、足も終わってないだけに、気持ちよく走れたはずなのにと思いながら進みます。
コルシェルクイはコルという名がついていますが、スキー場のリフト乗り場のようなところのウォーターエイドです。飲み物以外に、トマトソースのパスタもありました。とはいえ、私はトイレ通い。汚い話で詳細は控えますが、トイレに行きたくなっていくのですがガスがほとんどで少し胃か腸の粘液が出るだけの状態を繰り返します。エイドでみんなに先に行ってもらい、私は何度もトイレに行ってました。
現地のスキー場のレストハウスのトイレですが、いわゆる和式です。何度かトイレに入って、最後に立ち上がった時、脊柱管狭窄症による右足の神経痛が猛烈に痛み出しました。立ってても、座っても、どうしても痛くて我慢できない状態で、とりあえずトレイル脇にロキソニンを飲んで体育座り状態に。そもそも、お腹の状態が悪いのも、大して食事をせずにロキソニンばかり飲んでるのが悪いのではなどと考えながら、一気に気持ちが弱くなってしまいました。
座りながら考えてたこと: ・・・ この後、ロキソニンが効いたとしてクールマイユールまで激下り、クールマイユールの大エイドを過ぎるとアルヌーバまで約1,200mアップの後、更にフェレ峠まで約800mアップ。おそらくフェレ峠の登り始めで日が暮れて2回目の夜が始まり、走れないとフェレ峠の上はめちゃ寒いらしい。次の大エイドはシャンぺラックで126km地点・・・、こんなんでシャンぺラックまでは到底つかへんぞ。ってか、やっぱり神経痛が痛いなぁ。ロキソニン6~8時間くらいもつやろと思ってたけど5時間もつかどうかか。もうこれで4回目飲んだしゴールまで10回?それはさすがにないやろ。胃腸薬とセットで飲んでるけど、大して固形物も食べてないので胃がもたん。そもそもこんな神経痛抱えてもともとUTMBなんか無理やったんちゃうか。。。
ネガティブ思考は恐ろしいです、言い訳やネガティブな気持ちが一気に噴き出します。実は、この瞬間まで、モンファーブルからの下りでは、本調子ではないものの、リタイアなんて全く考えてなかったのです。なのに、この5~10分くらいの時間で、一気にリタイアへの気持ちが傾きました。
5分くらいで、トボトボ歩ける程度になり、スキー場のコンクリの急坂を下っていると、ロキソニンが効いてきたか、だんだん走れるようになりました。リタイアを決めてたわけではないですが、クールマイユールまでの木の根の劇下りを走りながら、変に足が残っていてどうせやめるのにもったいないみたいな変な思考になっていて、絶対飛ばしたらアカンところを結構なスピードで下りてクールマイユールに到着します。
クールマイユールのエイドには関門の45分前くらいに到着、先に到着していたパイセンがカレーヌードルを食べていました。会って第一声、「ヘルニア※あかんので、もうやめますわ」と、言葉が口をついてでました。「お前、マジか?なんでやねん?」と驚かれましたが、ロキソニン飲みまくって胃がダメなことや、ヘルニア※がかなり痛いことなど伝えると、普段なら「いけるとこまでいこうや」と言うだろうパイセンも「まぁ、元々、故障中やったしな」と理解してくれました。「俺はいくで、この時間やからちょっと後半厳しいけど、足残ってるから十分可能性あるし」と男らしい先輩を見送り、係の方にリタイアを告げに行きました。「急がないと、もうすぐ関門時間よ!」と言われるスタッフの方にリタイアしたいと告げると、ゼッケンとザックのタグを切り取って下さり、レースは終了。
思えば、ITRAポイントを獲るために1ヶ月で、ハセツネ、上州武尊、トランス済州に出たりしてポイントを集め、毎年抽選に外れ続けて最後の救済処置で出場権をもらい、コロナで2年延びたりして、出場するために5~6年かかった私のUTMB挑戦、止めるときは一瞬でした。
※「脊柱管狭窄症」はわかりにくいので、症状が似ている「ヘルニア」と言ってます
この直後から、今日にいたるまで、あの判断は正しかったのか、一瞬の弱気だったのか、ずっと自分の中で葛藤が続いています。ロキソニンが非常に効いている時のみなのですが、クールマイユールの下りではまだ足が残っていてほとんどごぼう抜きのような状態で下っていたのに、なんで辞めたんやろうという気持ちが繰り返しこみあげてきて、冒頭に書いた通り、悔しいより情けない気持ちでいっぱいになります。
が、これ以上は、ただの愚痴になってしまうので、レースのお話しはここまでとします。(え、レースのパートが短い?だって、半分もいかずに辞めてますし(笑))
クールマイユールからシャモニーまで、送迎バスでトンネルを通って帰ってきます。少し渋滞してましたが、それでも30分くらい。イタリアからフランスに国境をまたいでいますが、ただのトンネルをくぐるだけです。シャモニーの荷物預けをした体育館辺りでバスから降り、宿まではすぐ。シャワーを浴びてから、アパートには洗濯機があったので洗濯をして靴も洗って仮眠しました。
おまけ(アヌシー観光など)
レース後のおまけ観光なので、あまり説明なく、写真のみご紹介します。
シャモニーでゆっくり
本当だったらもう1日、夜通し走って夕方までに帰ってくる予定が、1日早く終了し、シャモニーでゆっくりすることに。のんびりと、レストランでまったりと。
宿から車で5分くらいのところのレストラン、お天気もよく綺麗な山と庭を眺めながら昼食を戴きました。
アヌシー観光
アヌシーは、シャモニーとジュネーブ空港の中間あたりにある、避暑地・スキーリゾートだそうで、最後の一泊はアヌシーに泊まりました。アヌシー湖畔の綺麗な景色と、アヌシー城を中心とする古い石畳の町は本当にきれいで、日本人はほとんどみかけず、フランスの観光地という感じでした。
昔ながらの石畳の街並みで、昼間はレストランでワインを飲んだりする人でにぎわっています。雑貨店などたくさんのお店があります。今回、宿はこの通りの上の階でしたので、窓から通りを見下ろすと行き交う人が見れる良いところでした。
昼間にレストランだったところは、夜にはBARになります。普段なら当然飲みに行くところですが、レース後で私を含め多くのメンバーがお腹の調子が悪く、大人しく寝てました(笑)
早朝には通りの方から、ドタバタと音がするなぁと思っていたら、下の通りの向かいのお店が朝市の果物屋さんの準備をされていました。通りはすっかり朝市に模様替えしています。
アヌシー城の近くの駐車場に車を停めていたので、アヌシー城を見学しました。城の建物内部は、博物館・展覧会施設として使われているようで、少し肩透かしでした。単に、街の様子を高台から見れる展望台という感じでしょうか。
ヨーロッパの古い街はたいてい中心部に教会がありますが、アヌシーもの教会にも大変立派なステンドグラスや天井絵(フレスコ画?)がありました。
街にはアヌシー湖から流れる綺麗な水の川(運河?)があります。フランスのベネチアとも言われてるそうです。
アヌシー湖は一周約40km程度らしいです。時間があれば走れますね(笑) 自転車道が整備されていて、凄いスピードで走っている人たちもいました。レンタチャリだったら2~3時間でいけちゃうんでしょうね。
アヌシー湖岸を散歩していると、貸しボート屋さんがあり、桟橋に焼けた短パンの男性が立ってるのを見て、昭和な私は、夏休みに避暑地で恋に落ちるバカンスものの古いフランス映画を思い出しました。まぁ、普通は南仏が舞台でしょうね(笑)
懸案だったPCR検査も、同行の仲間は全員陰性で、無事に帰国し、通常生活に戻っています。UTMBの参加資格がマイルストンの制度に変わり、さらに難しくなっていることもあり、リベンジするか否かはゆっくり考えます。まず9月は、脊柱管狭窄症を治す月間で、少なくとも走ることは控えて大人しく養生しようと思っています。
今回は長くなりましたが、最後までお読みいただき有難うございました。
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